真蔵院について

歴史と文化の薫りただよう悠久の地

古来から既存し、歴史と格式を感じさせる真蔵院。

ここ真蔵院は多くの方から親しまれ、愛されてきました。

真蔵院について

真蔵院は、奈良県桜井市初瀬 長谷寺はせでらを本山とする真言宗豊山派の寺院で、天文年間(1532~1555)にくう上人しょうにんによって開山されました。

山号はかい松山しょうざん、本尊は不動明王ふどうみょうおうです。

通称 「いかづちのお不動様」として古くから人々の信仰を集めています。

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みなさまに広く門戸を開き、どなたにも身近に感じていただける場所を目指しております。

仏事・葬儀・お墓のことなどお気軽にご相談下さい。

 

真蔵院所蔵の4つの文化財について

雷不動明王石造道標

(いかづちふどうみょうおうせきぞうどうひょう)

江戸川区登録有形文化財

高さ250cmもある大きな道標です。

近くにある雷不動(真蔵院)に向かうための道標で、もともと新川口南岸にあたる東葛西1丁目の路上にありました。

正面に「雷不動明王」と大書され、左側に「従是南十三丁」、右側に「文政元戊寅年六月再建」(1818)とあります。

本体の角に残るへこみは、新川の曳舟がとも綱をかけた痕と伝えられています。

平成3年(1991)4月に倒壊破損したため、修復後の翌4年に真蔵院へ移設しました。

青面金剛立像庚申塔

(しょうめんこんごうりつぞうこうしんとう)

江戸川区有形民俗文化財

高さ122cmの駒型の石塔になります。

元禄11年(1698)東宇喜田村字雷の庚申講中によって造立されました。

四本手の青面金剛立像を中央上部に、両脇に二童子、その下に四夜叉の立像が並人でいます。

台石に文化2年(1805)の年紀があることから、この時に修復されたと考えられます。

雷の大般若祭

(いかづちのだいはんにゃまつり)

江戸川区無形民俗文化財

毎年2月最終日曜日に行われる江戸末期より続くお祭りです。

前夜、大般若経600巻(※1)の「転読会てんどくえ(※2)」を修法し、翌早朝、化粧をほどこした長襦袢姿の男衆(※3)が大般若経を収めた経箱を担ぎ、町内を駆け抜けながら各戸にお札を配り、無病息災を願い厄払いをする伝統行事です。

真蔵院でこの「大般若」が行われるようになったのは、江戸時代の末期、外国船が持ち込んだコレラ(伝染病)が日本列島に蔓延した時からで、当地では「大般若」の御利益で被害を被らなかったと言われています。

以来、「大般若」の信仰が高まり、現在まで受け継がれています。

昭和56年4月 江戸川区無形民俗文化財に指定されました。

※1 大般若経:西遊記で有名な中国の僧 玄奘げんじょう三蔵さんぞう三蔵法師さんぞうほうし)が翻訳した、天下泰平・萬民豊楽の願を込めて読まれる600巻のお経

※2 転読会てんどくえ:経本を転回し、全巻を読誦どくしょうしたものとする法要

※3 女装(化粧をほどこした長襦袢姿の男衆)のいわれ:昔、病床の妹の快復を願い、兄が妹の赤い長襦袢を羽織ってこの行事に参加したことが始まりだと言われています。

葛西大師まいり

江戸川区無形民俗文化財

江戸時代から続けられている、弘法大師の霊場巡拝の行事です。

葛西地区には、大師をまつる寺院や堂宇、民家が30か所ほどありました。

かつては、5月21日に葛西地域と隣接する浦安の人々も参加し全体を巡っていましたが、現在は5組(長島・桑川組、船堀・宇喜田・小島組、仲町・新田組、雷組)に分かれて巡拝しています。

先達を先頭に、大師の厨子を背負った世話人が続き、講員が鉦をたたき口々に「南無大師遍照金剛」と大声でとなえながら行進します。

大師をまつる寺院やお堂、講員の家などに着くと、般若心経や光明真言を唱えて勤行します。

組によっては、歌や踊りが加わることもあります。

歴史・伝説について

真蔵院

天文時代、くう上人しょうにんに村人が所持していた剣を見せたところ、「霊剣である」と言われ、村人がこれを安置し一寺を建てたのが “真蔵院しんぞういん” だと、新編 武蔵風土記には書かれています。

更に、ある夜、くう上人しょうにんは仏像を背負ってくる夢を見た。目覚めると傍らに不動像があり、これを寺に安置した。

この像が度々他所へ出没するので、扉を閉めて旧暦正・五・九月のみ開扉して護摩を焚くようになりました。

雷不動

永禄のころ しんらい烈風れっぷうに見舞われた時、佛殿ぶつでんが大いに振動して止まず、宝剣箱を見ると、箱より宝剣が躍り出て庭には血が流れて あたかも不動明王が悪魔を退治したかのようでした。

それ以降、村は “いかづち” と言われ、本尊を “いかづち不動ふどう” と称しました。

これより この地に雷が落ちることはないと言われています。

※補足※ 本尊(いかづち不動ふどう)の別名

本尊のいかづち不動ふどうは別名 “なみきり不動”とも言われ、多くの船乗り・漁師に親しまれてきました。

天明2年(1782)行徳より江戸に向かう塩水船が大時化にあい遭難しかかった時、暗夜に一点の光明を見つけ、必死に船を漕ぎ九死に一生を得ました。

 

光明の出どころを探すと真蔵院の巨松で、その頂に棲む竜が助けてくれたと知ったそうです。その後、竜神は去りましたが、その巨松の根元から発見された剣が、今もこの地に安置されています。

なお、巨松は立ち枯れて現存していません。

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